5月31日(金)の「後藤新平の劇曲『平和』初上演&シンポジウム」開催にあたり、4月12日に記者会見を行いました(於・藤原書店)。
会見内容の要旨をご紹介します。
出席:
小倉和夫(元駐仏・駐韓大使) 加藤丈夫(前国立公文書館館長) 笠井賢一(演出家) 佐藤岳晶(作曲家) 藤原良雄(藤原書店社主、後藤新平の会事務局長)
■藤原良雄氏
2020年2月に日本経済新聞に掲載された出久根達郎さんのコラムをきっかけに、1912年刊の『劇曲 平和』の存在を知り、すぐにその年の夏には現代表記に直して書籍化した。
それ以来、演出家の笠井賢一さんと、いつか上演したいと話し合ってはいたが、コロナの渦中でもあり、なかなか実現の機会が訪れなかった。
昨年あらためて小倉和夫さんから「やってみないか」と背中を押していただき、実行委員にもお集まりいただいて、企画が動き始めた。
■小倉和夫氏
ロシアのウクライナ侵攻、パレスチナ戦争、台湾海峡問題など、今、世界は「戦争」の話ばかりしている。しかし、クレマンソーが言ったように、戦争を始めるのは簡単だが、平和は簡単には生み出せない。戦争は一方的に始めることができるが、平和は皆がそれについて考えないと実現できない。利己主義・ナショナリズムが跋扈している今こそ、この作品を上演することが、平和について考えることを促すメッセージになると考える。
平和を考えるにあたって、なぜ単なる講演やシンポジウムではなく、劇曲なのか。このような舞台作品は、ごく普通の国民の感情に訴えるものである。後藤新平は民意にどう訴えるかをよく考えた人物であり、本作も文化的なエンターテインメントとして上演することにこそ意味がある。
現代日本の観客にとってはどういう意味があるか。日露戦争を経た日本の台頭が世界の脅威とされ、黄禍論が唱えられたという歴史を考える手がかりになる。また、「誘惑者」という登場人物は、権力闘争など内政的要因から戦争を始めるなど、人間の根源にある権力欲・征服欲・覇権欲などを象徴しているのではないか。
■加藤丈夫氏
最初は、1912年の作品、100年以上前の音楽劇というものを、「果たしてやれるだろうか」と案じていた。この作品を現代において上演するには、若い人が理解しやすいように現代風のアレンジが必要ではないか、と。しかし、実行委員会で議論を重ね、できるだけそのままのかたちで上演することによってこそ、後藤新平の思想や、当時の識者が「平和」をどう考えていたのかを、現代の観客にもアピールすることができるという結論になった。
5月31日当日は、まず事前の解説無しに上演し、そのあとで、シンポジウムを行って議論し合うことになる。最終的な上演に期待している。
■笠井賢一氏
演劇の場で古典を現代に活かすことを主な仕事としている。最初にこの作品のコピーを読んだときから、現代において上演するに値する作品だと思っていた。
会場の内幸町ホールは広くはないが、凝縮度の高い空間なので、それを活かしていきたい。
セリフはできるだけ原文を活かしており、歌も、耳で聞いてわからないものだけは言い換えているが、他は原文にできるだけ沿っている。
「平和」について何か一つの答えを出す作品ではないが、100年前の作品が皆さんに伝わるように工夫して、観客の皆さんそれぞれの中にある「平和」への思いに火が点くようにしたいと思う。
100年前の作品と現代との距離を縮めるために、どのような演出上の仕掛けをつくるか。冒頭には、「誘惑者」を含む登場人物たちが、現代のまさに5月31日当日の話題に触れて、そこから100年前へと自然に遡っていく導入部分を設けている。
この作品は、いわゆるミュージカルではなく、「楽劇」というのが近い。歌の場面はあるが、セリフが歌になるわけではない。舞台セットには音楽の座を設けて、そこで演奏や歌が続けられる。
■佐藤岳晶氏
パリ国立高等音楽院という西洋音楽の中心地で教育を受けるとともに、義太夫節・地唄・箏曲などを今では人間国宝になられた方に師事し、両者の伝統の中枢を肌で感じる経験を重ねてきた。両方の音楽を一つの作品にいかに融合できるかをライフワークとしている。
この作品の音楽面で驚くべきところは、最初から「音楽は国境を越えた共通言語」とするのではなく、西洋を象徴するものとして管弦楽合奏・シンフォニーなどが指定される一方、雅楽・三味線・鼓など日本の伝統音楽も指定され、両者は「異なる」という認識から音楽のプランがつくられている。それが、最終的には「和洋両楽曲合奏」というト書きがあり、厳然と分けられていた両者が一つの音楽を奏でることが指示されている。後藤新平の考える東西文明の融合を、音楽を通じて実感できるようなシーンをいかに生み出せるか、それが自分にとって最大のチャレンジである。
キーとなる役である「少女やまと」は、日本を代表するカウンターテナー、村松稔之さんを招き、演じていただく。単純に日本を象徴する存在としてではなく、原作の雰囲気は残しつつも、日本という立場を超越するような音楽にしていくことで、より説得力を持たせたいと考えている。
(文責・事務局)